日本障害者ゴルフ協会
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9月9日-12日 NAGA National Amputee Golf Championships(米国ミネソタ州 ヘイゼルティンナショナルGC) 
今回のアメリカ遠征にノースウエスト航空の協力をいただきました。厚くお礼申し上げます。
チャンピオン、ヶニー・グリーン(アメリカ) 22歳で、テネシー州立大学の学生。 デンマークの新星、ステファン。ヨーロッパの試合を総なめにする24歳のホープ。 数少ない黒人プレーヤー、ウィリー・ブキャナン。義足はつけずにプレーする。 今年の女子チャンピオン、キンバリー・ムーア。大柄で、男性顔負けのロングヒッター。 片腕の美人ゴルファー、ケリー・バレンタイン。パワフルなショットで飛ばす。

★全米有数の難しいコースで

55th National Amputee Golf Championships Score
RANK NAME 1stR 2ndR 3rdR TOTAL
1 Green, Kenny 73 76 74 223
2 Nicholas, Jeoff 73 77 74 224
3 MacDermott,Robert 74 75 77 226
4 Harding, Bill 79 77 76 232
T5 Horsley, Mick 75 80 80 235
T5 Luke, Shane 78 77 80 235
7 Cox, Dan 80 81 75 236
8 Moerkholt, Stefan 75 84 78 237
9 Curley, Jim 77 82 80 239
10 Moor,Kim(女性) 76 89 77 242
ラフはどこまでも深く・・・
 今年、NAGA(アメリカ切断者ゴルフ協会)が開催する「The 55th National Amputee Golf Championships」の開催された「ヘイゼルティン・ナショナルGC」は、昨年、全米プロゴルフ選  手権の会場となったコースである。
この時、タイガー・ウッズは1打差でメジャー制覇を逃し、日本の伊沢、丸山プロもいい成績は残せなかった。

「ヘイゼルティン・ナショナルGC」は日本ではほとんど知られていない。しかし、アメリカでは難しいコースとしてよく知られている。設計はロバート・トレント・ジョーンズ。かの有名な「オーガスタ・ナショナル」を戦後、改造した男である。
ジョーンスはここを設計した時、「difficult par.easy boggy」(ボギーをとるのはやさしいが、パーをとるのは難しい)を旨とし、世界中のトッププロやアマチュアが挑戦しがいのあるコースに仕上げたという。そのためか、1962年の開場以来、ここにはたくさんの伝説が生まれた。

1991年に開催された全米オープンでは、故ペイン・スチュアートがプレイオフで勝利を手にしたが、その日のスコアは76でPGAトーナメントのプレイオフで史上最悪のスコアだったとか。また、かつてUSLPGAで数々の勝利をモノにしたナンシー・ロペスはここで1977年に開催された全米女子オープンで2位に甘んじ、なぜかそれから全米女子オープンだけはとれなかったという。そんな様々な歴史や伝説を秘めて、ヘイゼルティン・ナショナルGCは私達の前に姿を現した。

T24 Furuta, Ken(日本) 83 89 82

252

クラブハウス前の庭。プレーヤがいつも集まってだべっている。開放的な雰囲気だ。

★全米31州、世界8ヶ国から163人が参加

 今年の試合には、人気コースでの開催ということもあって、163人の選手が全米31州、世界8ヶ国から参加した。出場資格は「先天的あるいは後天的に手足を失った者」。つまり切断者で、下腿切断65人、大腿切断40人,ひじ上切断21人、ひじ下切断21人、重複切断16人が出場。日本からは1997,98,99,2001と
4回ジャパンオープンを制覇した古田謙(左大腿切断)、昨年ジャパンオープン総合2位に輝いた石田良充(右大腿切断)、2001年ジャパンオープン下肢障害の部優勝の沼部眞一(右下腿切断)、それにゴルフではまだ無冠ながら、アルペンスキーにおいてはパラリンピック代表選手の田中哲也(右大腿切断)の4人が参加した。

 選手数が多いため、ヘイゼルティン・ナショナルGCだけでは試合をこなせず、近隣の「チャスカ・タウンコース」(ここも1998年にゴルフダイジェスト誌の「全米新設コースベスト5」に選ばれた優れたコース)も会場となった。参加者は1日をチャスカ・タウンコースで、2日間をヘイゼルティン・ナショナルGCでプレーした。

アメリカには戦争で手足を失った人も多い。 モー・クレイトンはベトナム戦争で両足を失った。

選手権スケジュール

9/7 PM3:00より受付
PM5:00 NAGA総会
PM6:30 ウエルカムパーティ
9/8 AM7:30より 練習ラウンド
9/9 AM8:30より トーナメント弟1日目
9/10 AM8:30より トーナメント弟2日目
PM6:00より DVDレセプション
9/11 AM8:30より トーナメント最終日
PM7:30より 表彰パーティ
9/12 インターナショナルマッチ(36ホール)
 左のスケジュールを見ていただくと分かるのだが、この試合は3日間54ホールのトータルスコアで競われる試合である。2コースでの練習ラウンドや試合後に行われるインターナショナルマッチ(アメリカと諸外国各16人で競われるマッチプレー)に出場するとなれば、合計7ラウンドをこなさなければならない。
それだけに「偶然」とか「運良く」といった結果はなく、真の実力が現れる試合であり、ゴルフ技術の他に体調管理なども勝負の分かれ目になる。健常者でもかなりきつい試合といえる。
一昨年まで12年間にわたって、NAGAのチャンピオンとして君臨したジェフ・ニコラス(左)と昨年ジェフを破ってチャンピオンの座に着いたヶニー・グリーン(右)。今年もヶニーが1打差で優勝をさらった。

★大型ルーキー続々登場

 今年は例年にまして、力のある若いプレーヤーが登場してきた。昨年、彗星のように現れ、12年間チャンピオンの座を守ってきたジェフ・ニコラスを1打差で破り、新チャンピオンになったヶニー・グリーン(アメリカ)、ヨーロッパ障害者選手権に優勝し、アメリカの試合に乗り込んできたデンマークの新星、ステファン・モルクホルト、昨年オーストラリアで開催された切断者ワールドカップで優勝したオーストラリアのシェーン・ルーク。どれもが将来性を感じさせるスケールの大きい選手だ。

 今年こそはジェフ・ニコラスが昨年のリベンジを果たすと予想したが、ヶニー・グリーンがまたまた1打差でジェフを破り、2年連続のチャンピオンに。ヶニーは飛ばして、あまり曲がらず、小技やトラブルショットも巧い。ここしばらくは、彼の時代が続くのだろうか。

★日本選手は苦戦

 日本人選手は苦戦である。
「手根管症候群」という奇病に見舞われ、手のしびれに苦しむ古田謙は、リタイアすることなく頑張り、7ラウンドを貫徹したが、結果は総合24位。以下、詳しい成績はミネソタゴルフ協会のサイトに掲載されている。(ちなみに、このサイトのスコア表はなかなかよくできている。選手名をクリックすると、3日間のスコアカードが見られる)

 ドライバーショットは概ね、上出来で、フェアウェイのいいところに運ぶ日本人プレーヤー。しかし、日本とは異なる芝や密生した粘っこいラフ、グリーン回りの深いバンカーなどにみんな苦しんでいた。当然ながら、英語しか話さない同伴プレーヤーとのラウンドも慣れないうちは落ち着かない。
「アメリカのゴルフはいろいろなことが少しずつ違っていた」と石田良充選手は言う。練習ラウンドではハーフ30台も出て、よい仕上がりに期待がかかっていた田中選手も、本番では猛練習の成果を出せなかったようだ。
 日本のプロがなかなかアメリカの試合で勝てないのも、ゴルフ場の違い(コースレイアウトや芝の種類などの)や言葉の壁、食生活等文化の違いに戸惑うことが大きいのだろう。私達は現実に、アメリカに長期滞在してゴルフ三昧に過ごすことは出来ない。毎年経験を重ねて、みんなが少しずつ慣れていくしかない。石田選手は帰国してすぐ、英会話のの本を2冊も買ってしまったそうだ。「次回はやるぞ」という闘志を1年間の間、今回の遠征メンバーは密かに抱えて頑張る。「我こそは」と思うDGAメンバーにどんどん挑戦してもらいたいこの試合。来年はリベンジだね!!!

もう一つのコース「チャスカ・タウンコース」はイギリスのリンクスを思わせる。木が少ない代わりに深い茂みが。風が強いと大変だ(上)。
湖を見渡せるヘイゼルティン・ナショナルGCの名物ホール(写真下)。

★それでも楽しかったよ

パーティでの日本チーム。小技が巧く「ミスターマジック」と呼ばれるマイク・カーバーを囲んで。 ゴルフ場の宴会場。クラブハウスは木造で「良きアメリカ」的雰囲気がある。 インターナショナルマッチの選手に選ばれた外国人選手。古田謙と沼部眞一がいる。

★パトリス・クーパーのこと

 今年の大会会長、パトリス・クーパーはNAGAトーナメントで11回の女子チャンピオンをとった優れた女性ゴルファー。ヘイゼルティン・ナショナルGCのメンバーで、女子のクラブチャンピオンの座をを最近7年間守っている。
 1987年にガンで左腕を切断。しかし、自分なりに工夫した義手を使い、障害を超えてハンデ4になる。一昨年のジャパンオープンに参加する予定だったが、9.11のテロ事件の影響で来日を断念した。
 そのパトリスは今年5月に切断した腕の周辺にガンが再発。現在は放射線療法を受け、再びガンと戦っている。髪の毛が抜けてしまったため、帽子でカムフラージュし、それでも元気な姿を見せた。大会会長の重責をこなし、3日間の試合も貫徹した。日本チームの面倒もよくみてくれた。
 帰国後にお礼と励ましのメールを出すと、帰ってきた返事は「Blieve me」。「絶対に治って日本に行くので、私を信じて待っていて欲しい」とのこと。とても前向きで、逆に励まされた。ガンに負けず、日本であなたのプレーをDGAのみんなに見せてください。 
2年前、ボストンの大会でのパトリス(左) 今年、ガンが再発し治療中のパトリス(上)
PHOTO SEIJOE SATOH
TEXT HARUKO MATSUDA
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