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| 「第1回 九州・沖縄障害者オープンゴルフ選手権」は日本障害者ゴルフ協会が初めて拠点である関東を離れ、遠く沖縄に出向いて開催した選手権である。試合当日は幸いにも快晴に恵まれた。日本全国から約70人(うち、障害者42人)が参加。北海道からは5人、九州から5人、そして沖縄からも8人の障害者ゴルファーが参加した。 ポスターなどを見て、新たに参加した沖縄を含む西日本在住のゴルファーもいて、この地域での障害者ゴルフの普及に貢献できるという期待が広がった選手権である。 特に好評だったのはゲストとして協力していただいた宮里優プロの前夜祭での講演と試合前のレッスンであった。宮里プロはご存知、宮里三兄弟(聖志、優作、藍)の父にして師匠。すぐれたレッスンプロとして知られている。講演では自らのゴルフとの取り組みと3人の子供達とゴルフについて語り、時折、涙を流しながら話すほどの熱演だった。講演のさわり。
「宮里プロがゴルフを始めたのは29歳の時だった。婚約中だった現夫人にゴルフ練習場に連れていかれ、ボールを打ったところ、ドスライスながら、ボールは200ヤード地点を目がけて飛んでいった。この時の快感からゴルフに魅せられ練習を始めた。しかし、その噂を聞きつけた近所の人から『おまえなんか絶対にゴルフが巧くならない』と揶揄された。その言葉が負けじ魂に火をつけ、プロは1日12時間の練習を自分に課したという。 (裏話1) 宮里プロは大変気さくな人柄である。前夜祭の日、受付に来られた時も、初めてお会いしたとはとても思えなかった。と、その時、年配のご婦人が現れ、「わあ、宮里先生ですか。先生のお顔を見ると元気が出るんです。握手してくださーい」と突進。ちょっと唐突な感じがしたが、プロは嫌な顔もぜす、握手。ご婦人は大感激だった。 (裏話2) 試合が終わり、事務局長の松田治子が宮里プロに謝礼(といっても予算がないので薄謝なのだが・・・)を渡そうとすると、プロは「これは受け取れません」と言う。「そんなことをいわれても・・・」と押し問答になった。するとプロは「では受け取ります」といったん受け取った上で、「これは協会に寄付します」と返して下さった。そのさりげなさに「心」が感じられた。 |
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| RBC琉球放送、琉球朝日放送、沖縄タイムス、琉球新報社など地元のマスコミがたくさん取材に来た。 派手な義足で注目の的の田中哲也。 |
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| 南国の空はどこまでも明るく・・ | 宮里プロから 丁寧なアドバイス | ||||||
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今回の選手権にはジャパンオープンを4回征した強豪、古田謙が仕事の都合で欠場。古田選手が必ずしも勝つとは限らないとしても、優勝の行方は混戦状態に見えた。
昨年のジャパンオープンで、アメリカの名プレーヤー、ダン・コックスを押さえ、総合2位に輝いた石田良充が優勝の最右翼と思われた。しかし、石田選手も仕事の都合で前夜祭には参加できず、試合当日の飛行機で沖縄に飛んだ。石田選手の住む大阪からは早朝便がなく、最も早い便で11:10分那覇空港着。運の悪いことに、その日、飛行機が遅れ、石田選手はスタート5分前にゴルフ場に到着した。 |
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| おめでとう、松本博さん。 | ||||||||||
| しくスタート。それが響いたのか、前半9ホールで47を叩き、総合3位にとどまった。
記念すべき「第1回九州・沖縄障害者オープン選手権」で総合優勝を果たしたのは、松本博選手。60歳。オートバイで走行中の交通事故で、左大腿を切断した。自宅の庭に練習場を作り、毎日必ず100球を打つという努力家だ。ザ・サザンリンクスGCという難しい舞台での42,43は悪くない。 実はタイスコアに北九州から初出場の浦田則敏選手がいた。写真右のやさしくて、いい男。来年はもっと大暴れして欲しいものです。年齢によって、今回は総合2位。結果が出たときは日没で出来なかったが、本当は2人のプレーオフが見たかった。
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| 浦田則敏選手 | ||||||||||
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| 予算がなくても賞品は豪華に | 両下腿切断の仲間・嶺井貴さんと出会って御機嫌な千葉ちゃん(右) | なぜか渋い顔の最終組。 | ||||||||